似顔絵の作成は二頭身にっこり似顔絵の高嶋似顔絵製作所へお任せください。
高嶋似顔絵製作所
ここだけの話
 
 
 
 
 
 
 
よくある質問と回答

ここだけの話

はじめに
プロフィール

 
 

■はじめに

 高嶋似顔絵製作所のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。

 従来、ホームページの似顔絵といえば、肖像画のようなものやデフォルメしすぎたものしかなく、またそのほとんどがお遊び用のものでした。ウェブマスター紹介用に使用されている似顔絵のほとんどが上半身(バストアップ)でした。

 2001年、高嶋似顔絵製作所は、二頭身にっこり似顔絵という独自のスタイルで、画像サイズ100×160ピクセル、価格3,000円で似顔絵を製作開始いたしました。現在インターネットで販売されている似顔絵は、高嶋似顔絵製作所が始めたサイズと価格が基準になっています。

 また、ホームページでの有効利用を最大限に生かすために二頭身似顔絵アニメーションGIF、似顔絵FLASHアニメーションもいち早く取り入れました。

 さらに、似顔絵名刺、似顔絵フィギュア、似顔絵ウェルカムボード等の製作も開始し、「インターネットの似顔絵といえば高嶋似顔絵製作所」といわれるようになりました。

 昨年からは、似ている似顔絵・おもしろい似顔絵・使える似顔絵に加えて開運似顔絵の研究も行っています。

 今後も皆様に喜んでいただける似顔絵の製作を行ってまいりたいと思います。
是非オリジナルの二頭身にっこり似顔絵をご用命くださいますようお願い申し上げます。

 
 

 

 
 

■プロフィール

高嶋健次郎 高嶋健次郎は1966年4月、東京都中央区で生まれ、埼玉県草加市(せんべいの街)埼玉県岩槻市(人形の街)と学生時代まで過ごしました。

 小学生時代、将来の夢はマンガ家。赤塚不二夫氏のまんが入門を読んでいました。ニャロメ・ベシ・ケムンパスはいつもマネて描いていました(笑)その後、とりいかずよし氏のトイレット博士に衝撃(汗)を受け、登場キャラクターの模写をしていました。

 毎週日曜日には四谷の上智大学で開催されていた東京標準テストへ通っていました。帰りは秋葉原の電気街でラジオパーツの物色です。そして、どういうわけか、将来の夢がマンガ家からおもちゃ屋さんに変更となりました。

 親父がもっていた(弾いていたのではない?)クラシックギターの引力で、クラシックギターを習い始め、お決まりのパターンで中学生からはエレキギターに転向し、ミュージシャンを目指して日夜ギターの練習に励んでいました。高中正義のコピーからはじまり、オリジナル曲(インストゥルメンタル)の作曲をしてはMTR(マルチトラックレコーディング)をして喜んでいました。

 「バンド活動ができるらしい...」という情報で東京電機大学高等学校(当時:小石川校舎)へ岩槻市立岩槻中学校から推薦入学(笑)し、さらに東京電機大学理工学部経営工学科へ推薦入学(爆)を果たしました。

 大学ではバンド活動と共に、全国各地から集まった貴重な友人達をモデルに似顔絵(ラクガキ)を描き始めました。しばらく封印されていたもののこの時の経験が今の高嶋似顔絵製作所を作ったと言っても過言ではありません。

 大学時代に出会ったモノのもう一つ、それがコンピュータでした。当時マイコンと呼ばれていたパソコンを触っていたのは牛乳瓶の底のようなメガネをかけたオタッキー(死語?)のような人ばかりでした。授業ではマークシートにプログラムを記述し巨大なコンピュータを稼動させていました。この時代、日本で主流のパソコンはNECのPC-9801シリーズです。ワープロソフトといえば、JXWORD太郎(後の一太郎)。マウスはありません(涙)おかげで、カナ打ち、英数字打ち共にタッチタイピングで入力可能となりました。パソコン言語もアセンブラ・FORTRAN・COBOL・PASCAL、そしてLISPなどを学びました。

 大学時代の4年間でコンピュータは急激な進化を遂げ、4年生の時には人工知能の研究室(上野晴樹教授)へ行き、NTTのELISというLISPマシンを一日中触り、エキスパートシステム(知識ベースを用いた故障診断システム)の研究を行っていました。卒業研究としては、私一人で、ELISを使って知識ベースを作成するグラフィックインタフェースを構築しました。

 就職先としては、研究室が委託研究を受けていた財団法人石油産業活性化センター経由(?)で、何度か研修に行った石油会社も有力だったのですが、今後生活するなら長野方面か仙台方面(自然と調和しながら生活ができる?)という構想があり、コネもあったこともあり、今は無き株式会社山勝真珠という会社へ就職しました。真珠選別は熟練した専門家(エキスパート)のみが行う技術であり、これをコンピュータでなんとかできないやろか?という会社側の希望があったのです。

 最初の半年は兵庫県神戸市にあった本社のコンピュータ室と寮の往復、その後、山梨県甲府市の出張所勤務となり、真珠加工設備の施工(作業服着て)、プログラミング、ホームページの作成(ウェブ絵本、アウトレットショップも作成)、さらに真珠の選別(巻・テリ・ツヤ・傷・色)、販売管理システム・在庫管理システムの構築、営業と10年間過ごしました。

 サラリーマン時代に出会ったモノ、それがインターネットです。当時は山梨から東京のアクセスポイントにダイアルアップ接続していました。windows3.1の時代の話です。現在も利用している株式会社ベッコアメ・インターネットでインターネットデビューを果たしました。その後、今は無き、世界中の日本人の為のコミュニティサイトJapanese Networkに参加し、メーリングリストにどっぷりとはまりました。毎月のように各地のオフ会へ出動し、インターネット仲間の結婚式にアメリカまで行きました(笑)

 このアメリカでの結婚式はセントルイスという街で行われたのですが、アメリカ西部開拓のシンボル、Gatewayarch(ゲートウェイアーチ)に昇った(アーチ頂上までトラムに乗って昇れます。)ことが、後の開業へのきっかけの一つとなりました。

 1998年(平成10年10月10日)、Japanese Networkの仲間達と共に世界同時オフを企画しました。時差を利用して順次オフ会を開催し開催報告をインターネットで行いました。

 10年間勤めた会社を退職し、1999年10月、地域密着型インターネットサービスプロバイダ、ジェイゲート・インターネットを開業しました。J-GATE.NETのGATEは、Gatewayarchからとったものであり、Jは言わずと知れたJapanです。

 開業翌年の2000年、SOHO山梨子育て山梨を立ち上げ、地域ネットワークの研究を開始しました。山梨県家庭教育子育て支援推進事業YBSテレビ「子育て日記」制作委員を委嘱されたのもこの年です。

 2001年、日本のIT元年(?)、国をあげてのIT化施策の一環であるIT講習会が全国ではじまり、山梨市職員IT基礎講習会講師、並びに、山梨市IT基礎講習会講師をしました。さらに、山梨県少子化対策事業「子育てやまなしリレー座談会」峡中地域座談会メンバーとして参加したり、家庭教育相談員養成講座講師、現代的課題講座講師など、いろいろと活動させていただきました。

 さらに、山梨CATV「週末はPCライフ〜ちどり君とはじめるインターネット〜」の制作委員として、また、メインパーソナリティーとして毎週テレビ出演していました(笑)

 インターネット接続のほか、出張支援サービスやホームページ作成・ホームページ運営代行サービスを行っているうちに、クライアントを満足させるためには、自分自身のホームページ(ネットショップ)で実績をつくらなければないらいと感じはじめていました。

 そしてついに、地元インターネット仲間の似顔絵を描く機会があり、10数年間封印されていた似顔絵描きの魂が復活を遂げたのです(爆)

 その後、さまざまなご要望をいただき似顔絵のバリエーションが増え、名刺・フィギュア・ウェルカムボードといったインターネットの世界から飛び出した似顔絵製品の製作にも着手しました。

 2002年、モノ作りがさらに加速し、弦楽器作家飯田裕氏の工房へバイオリン製作へ通いはじめました。初めて作ったバイオリン↓
第1作目のバイオリンの写真(表)
第1作目のバイオリンの写真(裏)

 さらにこの年、360度パノラマ画像の作成を行う360堂を立ち上げました。似顔絵がインターネット上で人物を表現する最高のツールであると同様、場所を表現する最高のツールがこの360度パノラマ画像です。

 2003年、インターネット上でのさらなる似顔絵の発展を目指し、FLASHアニメーターの先駆者であるA.e.Suck氏のワークショップや講習会に足を運び、似顔絵FLASHアニメーションの改良を始めました。

 マネーの虎の一人、オートトレイディングルフトジャパンの南原竜樹社長の似顔絵、並びに似顔絵フィギュアを作成させていただきました。似顔絵フィギュアは南原ストラップとしてマネーの虎でも視聴者プレゼントとして紹介されていました。

 2004年には日本最高地点(富士山頂剣が峰)の360度パノラマ画像の撮影をしました。

 2005年6月26日、2丁目のバイオリンが完成しました。↓
2作目のバイオリンの写真

 
 

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